初午大祭がおこなわれました

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境内社・冠稲荷(かんむりいなり)さまの初午大祭(はつうまたいさい)がおこなわれました。毎年2月11日「建国記念の日」のお祭りです。

前日の雪とは打って変わって、一日あたたかい日差しに恵まれました。

新型コロナの影響で令和3年と4年、神賑わいの行事をお休みしましたが、このたび三年ぶりに盛大におこなうことができました。

倉賀野小5年生の豊栄舞(とよさかのまい)
福男・福女が参拝者にたくさんの福をくばりました。
神社に伝わる「飯玉縁起(いいだまえんぎ)」の物語に子供たちが聞き入りました。
境内では湯立ての祓(はら)いを受けて無病息災を祈りました。

冠稲荷初午大祭の由来

◎「初午(はつうま)」とは?   二月の最初の午の日のことをいい、この日に全国で稲荷の神様のお祭りがおこなわれます。暦(こよみ)を見ると午の日は年によって変動します。倉賀野神社では、毎年の2月11日(祝日・建国記念の日)を冠稲荷さまの祭日と定めて、初午大祭を執行しています。

◎冠稲荷(かんむりいなり)神社の由来 もともとは江戸時代の中山道倉賀野宿の横町(よこまち)地区に鎮座していた神社です。別名を「三光寺稲荷」。往時は祭礼に神楽が奉納されたり農耕・養蚕具の市が立つなど、大変な賑わいだったと伝えられます。
やがて明治時代末に進められた神社合併にともない、倉賀野町上町(かみちょう)地区の倉賀野神社に合祀されることになりました。有名な「飯盛女奉納の石玉垣」もこのときに境内にいっしょに移設されてきました。
なお、昭和になってから横町地区のもとの場所にも社殿が復祀再建され、同町内では現在も毎年4月8日に祭礼が行われています。
なお冠(かんむり)の呼称は、源義経が奥州に下向の途次、冠の中に伏見稲荷様の御分霊を戴いていたのが起源ともいわれます。