雲龍図

「雲龍図」と狩野探雲

天明7(1787)年、狩野探雲画。木板4枚をつなぎ合わせた縦3m、横2.3mの大作。

天明3年に上信国境の浅間山が大噴火してから4年後の作画である。大災害から復興を祈る切実な思いは、現代のわたくしたちに伝わるものだ。

雲間に舞う龍の「八方睨(にら)み」が人々の身に付いた災いのをもとをことごとく祓い除けることから、『厄除雲龍』とも称される。

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探雲は享保10(1725)年甘楽郡野上村(今の富岡市)の生まれで名は佐藤守照。江戸に出て狩野派に学び、幕府画所(えどころ)で十五人扶持をうけ、江戸城内西の丸普請では障壁画製作に従事。寛政11(1799)年、法眼に叙せられたという。晩年は富岡・七日市藩の御用絵師をつとめ文化9(1812)年、88歳で没す。

世に「上野(こうずけ)探雲」の名で知られる。

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