平成22年初午大祭

初午大祭がおこなわれました(2月11日)

 境内社・冠稲荷(かんむりいなり)神社の初午(はつうま)大祭がおこなわれました。冠稲荷さまの祭日を2月11日と定めて、倉賀野神社で毎年おこなわれる行事です。
 この日は祝日「建国記念の日」。五穀豊穣と商売繁盛を神前に祈るとともに、日本の国の誕生日を参拝者ともどもにお祝いしました。


倉賀野小学校5年生児童による「豊栄舞(とよさかのまい)」

  

「福投げ」に大勢の福男福女が参加しました。

 境内の「湯立て神事」に集まった参拝者たち

昼頃、お天気はみぞれ模様となりましたが、社務所のなかで紙芝居を上演。本神社の創建神話『飯玉(いいだま)縁起』を題材にした創作紙芝居に、集まったこどもたちは目を輝かせていました。


◎「初午(はつうま)」とは?   二月の最初の午の日のことをいい、この日に全国で稲荷の神様をまつる行事がおこなわれます。暦(こよみ)を見ると午の日は年によって変動します。たとえば今年の初午は2月1日でした。倉賀野神社では、毎年の2月11日(祝日・建国記念の日)を冠稲荷さまの祭日と定めて、初午大祭を執行しています。

◎冠稲荷(かんむりいなり)神社の由来 もともとは江戸時代の中山道倉賀野宿の横町(よこまち)地区に鎮座していた神社です。別名を「三光寺稲荷」。往時は祭礼に神楽が奉納されたり農耕・養蚕具の市が立つなど、大変な賑わいだったと伝えられます。
やがて明治時代末に進められた神社合併にともない、倉賀野町上町(かみちょう)地区の倉賀野神社に合祀されることになりました。有名な「飯盛女奉納の石玉垣」もこのときに境内にいっしょに移設されてきました。
なお、昭和になってから横町のもとの場所にも社殿が復祀再建され、同町内では現在も毎年4月8日に祭礼が行われています。
なお冠(かんむり)の呼称は、源義経が奥州に下向の途次、冠の中に伏見稲荷様の御分霊を戴いていたのが起源ともいわれます。