厄除雲龍図と狩野探雲

「厄除雲龍図」と狩野探雲



厄除の御祈願については祈祷の御案内をご覧下さい。

  • 天明7年(1787)、狩野探雲(たんうん)63才のときの作画で、大板4枚をつなぐ縦3m×横2.3mの大作。御本社拝殿内。「八方睨み」で参拝者の身に付着した災厄をことごとく祓い除けることから「厄除雲龍(やくよけうんりゅう)」の名がある。
  • 上信国境の浅間山の大噴火が起きたのは天明3年のこと。それから4年後にこの雲龍図が奉納された。人々が鎮守の神に祈る思いは、3月11日の大震災を経たいまの私たちに通じるものであろう。
  • 作者の狩野法眼(ほうげん)探雲は甘楽郡野上村(現群馬県富岡市)の生まれで、江戸に出て狩野派に学び、江戸城西の丸普請の際には障壁画の製作に従事したという。晩年は七日市藩の御用絵師を勤め、世に「上野(こうずけ)探雲」と称された。文化9年(1812)、88才の長寿を全うした。